「昭和の初めごろは、『自動車は外国車を輸入すればよい。国内で生産しても需要が少ないから、企業としては到底引き合わない』という風潮が一般に強かったのです。
これに対して私は、近く国内でも必ず需要がふえるから、国内メーカーによって大量生産をするべきだ、と考えていました。
しかし、国内には自動車工業を研究する人がいなかったので資料も乏しく、私の講義も内容は外国の雑誌や文献に頼るしかありませんでした」
「昭和4年に文部省の在外研究員に選ばれた時のことです。
研究テーマを『自動車工学』にしたところ、教室主任に『君は"カゴかき"になるのか。そんなテーマでは文部省が許可しないだろう』といわれました。
当時、自動車はせいぜいカゴの代用品というほどに軽く考えられていました。
中古トラックのようなものですらない時代です。
したがって自動車の運転手は"カゴかき"くらいにしか見られていなかったわけです。
教室主任が私のことを"カゴかき"といったのは、次のような事情です。
当時は自動車はほとんどが輸入で、国内にはメーカーはもちろん、修理工もいません。
したがって故障した場合の修理も運転手にまかされていました。
だから自動車工学の研究運転手"カゴかき"という発想になったのでしょう。
とにかく、自動車の研究ではとても外国へいかしてくれそうもありません。
仕方がないので研究テーマの『自動車工学』を『機械工学』に改めて、やっと文部省の許可をもらいました。
当時の自動車に対する一般の認識はそんな程度だったのです」